僕の幸福観
明石家さんまが言っていた。「幸せ」という感覚は人間にしかないらしい。
「幸せ」ほど曖昧なことはない。
掴んだと思ったらすり抜けていったり、遠くにあるようで近かったり。
「足るを知れば…」なんて言葉もある。
人からは、日陰や日向で寛いでいるイヌやネコが幸せそうに見えたりする。
仕事に追われる自分、家族や友人、健康、お金に悩む自分と比べるからだろうか。
イヌやネコに仕事はないように見えるし、健康はともかく、とりあえずお金の心配とは無縁だろう。
隣の芝は青く見えるものだ。
人が「幸せ」を考えるときは、たいていは抽象的になる。
具体的な場合は「目標」に言葉を変える。
人が幸せを追いかけ続けるのは、幸せという言葉が持つ意味が抽象的だからなのかもしれない。
じゃあ、ちょっと具体的にしてみたら良いんじゃないか。
「お腹いっぱい」だから幸せ。
「今日1回笑った」だから幸せ。
「ぐっすり寝られた」だから幸せ。
こんな感じに。
バリに来てから、僕の幸福観は、ますます具体的になった気がする。