半径500メートルの人たち
妻は最近、語学学校に通っている。
友人の奥さんに「バイクの送迎が1回500円する」と話したら、憐れみの目で見られたらしい。
裏のおじちゃんに頼めば安いのに、ということだそうだ。
バリには観光客向けのスーパーがあり、ローカルの人がほとんど利用しない店も多い。
せっかく長く住むのだから、なるべく身近なところにお金を落としたい。
たとえ小銭でも、チリが積もればなんとやらだ。
自分たちが使ったお金で、周りの人たちの生活を少なからず支えられるのであれば、それは地域に貢献していることになり得るんだろうか。
世界ではいろいろなニュースが起こっているけど、身近なところは平穏であってほしい。
一番は家族や親戚、友人だけど、毎日のように顔を合わせるパン屋さんや、ランドリーの人たちの生活が幸せであれば良いのにと思う。
バリ島全域や、日本全国のことや、ましてや世界中のことなんて、範囲が広すぎて相手にしきれない。
それは、ガネーシャさんや、アマテラスさんや、ブッダさんや、イエスさんや、アラーさんたちに任せておこう。
この人(神)たちを並べて書くことが、適当かどうかもよくわからないけど。
まず一人も会ったことがない。
南米のアマゾンで暮らす「ピダハン」という少数民族は、キリスト教の宣教師が来たときにこう言ったらしい。
「自分たちは神を知らない」
「会ったことがない」
「だから自分たちに神はいらない」
ピタハンには、数もなく、色もない。
「右」も「左」もない。
「過去」も「未来」もない。
「ありがとう」も「ごめんなさい」もない。
感謝と謝罪の意は、行動で示す。
僕のインドネシア語は1歳児くらいのレベルだから、行動で示せれば良いな。