世界中が成熟社会になったら

バリは成長社会真っ只中。

僕は2回しか来たことがないからわからないけど、何度も来ている人たちは

「バイクばかりだったのに、最近は車が増えた」

「町がきれいになった。(ごみは多いけどね)」

と口々にいう。

高度成長期の日本も、きっとこんな光景だったんだろう。

インドネシア政府がインフラ整備に力を入れているから、どんどん変化していくはずだ。

 

「国民みんなが勤勉」かどうかは知らないけど、バリの人はみんな頭が良いと思う。

語学の吸収力がすごい。好奇心もある。向上心もある。

ずっと井戸端会議をしている男連中もいるけど、朝から晩まで働いている人も案外多い。

 

近所のランドリーなんて、ニュピ以外休んでいるのを見たことがない。

交代で休みを取っているようすもないし、いったいいつ休んでるんだろう。

それに、バリで見る求人はどれも週休制だ。日本人向けだからかもしれないけど。

 

成長社会は、価値観がある意味シンプルだ。

日本も「マイホーム」「車」がステータスだっただろうし、男の一生の買い物なんて、家と車を買えばほとんど済んだようなものだ。

旨いものを食べ、良い家に住み、良い車に乗り、良い服を着る。

極めてわかりやすい。

 

日本は、ずいぶん前に成長社会を終えた。成熟社会への転換というやつだ。

けど日本の教育は変化しただろうか。

「人も経済も、半永久的に成長し続ける」かのように教育しているように思える。

永久に成長を続けるなんて、めちゃめちゃ楽観的な考え方だと思う。

10代や20~30代にある虚無感は、この教育が原因だったりしないんだろうか。

 

「悟り世代」とか言われているように、若い世代は価値観を変化させつつある。

けど若い世代でも、お金があって、将来の不安がなければ、きっとかつての日本のように物を買うと思う。

結局お金がないから買わないだけで、諦めにも似た悟りなのだ。多くの場合は。

 

成熟社会になると、価値観が多様化してくる。

成長社会にも多様性はあるはずだけど、それが顕著になる。

「年収何千万も稼いで、良い家に住んで、良い車に乗って…」という価値観。

「やりがいがある仕事に人生を賭ける」という価値観。

「そこそこ働いて、家で過ごす時間を大事にしたい」という価値観。

「働かずに、好きなことに没頭したい」という価値観。

などなど。

 

成長社会では階層構造のようになっていた社会が、成熟社会では小さなコミュニティが点在するような社会になるんだと思う。

日本やアメリカより早く成熟社会に入ったヨーロッパは、個人主義から家族主義になった。

年に一度のバカンスを楽しみに、普段は質素に暮らしている人が多い。

「11か月は来年のバカンスのことを考えて、1か月バカンスを取る」

なんていう人もいるが、それはヨーロッパの人に些か失礼だ。

それにヨーロッパってかなり広い。

 

家族を大切にするバリでも、成長社会が進めば個人主義になったりするのだろうか。

それはなんだか寂しい気がする。

 

数十年後に世界中が成熟社会になったとき、世界中に点在する小さなコミュニティがつながって、同じ価値観を共有したり、

となりにある別の価値観を持ったコミュニティと交流したりすると楽しそうだ。

 

そうなると、ヒトもモノもカネも、小さなコミュニティの中で循環する社会になったりするんだろうか。


それでも、人が、仕事や家族、友人、健康、お金なんかで悩んでいることは変わらないのかもしれない。