断捨離の仕方

断捨離とか、シンプルライフとか、ミニマムライフとか。

日本には、Less Is More的な価値観が広がっていた。

最近では、ノマドライフ(ワーク?)もその一つだろうか。

最近と言っても、もう古いかもしれない。

 

歳を重ねれば、することは段々研ぎ澄まされて、自然にシンプルになっていく。

というのは僕の考えだけど、断捨離にハマっている人に若者は少ないと思う。

 

頭の片隅では「別にいらない」と思っていても、かつて消費していた経験があるから、つい買ってしまって物が増えるのかもしれない。

過去は美化されるので、10数年前の「消費は美徳」という考えが、さらに肥大する。

 

海外で暮らすと、勝手にシンプル化が加速していく気がする。

 

まず、スーツケースに入るだけの物しか持ってこない。

転々とするかもしれないから、大きな家具や余計な物は買わない。

トランク1つで引越しできるようになる。

 

断捨離の仕方というわけではないけど、「1つ買ったら2つ捨てる」というのが18歳くらいからのマイルール。

バリの移り変わり

乾季になって風向きが変わったのか、家の周りでよく磯の香りがするようになった。

バリには雨季と乾季しかないので、日本ほど季節の移り変わりに敏感ではない。

春を待って耐え忍ぶ冬がないから、どこか気質がのんびりしているのかもしれない。

 

最近、近所に小さなお店が増えた。

コスメを売っている小さなお店や、ワルンもできたみたいだ。

バリにはたったの3ヶ月しかいないのに、変化が著しい。

 

昨日は北部のロビナまで行ってきた。

妻は約6年振り。

細くてデコボコ道だったと聞いていたから、たいそう車に酔うだろうと思っていたけど、意外と舗装されていて快適だった。

6年前にはなかったはずの町ができていたり、道幅が3倍くらいになっていたり。

川で裸になってマンディしている人も少なかった。

 

タナロットには、半年前はなかったきれいな露店が軒を連ねていた。

ATMやコンビニはあるし、道もきれいになっている。

たったの半年なのに、別の場所に来た気分だ。

 

生活したり、時々以前行った観光地に足を伸ばすと、激しい変化を感じる。

かつての日本もこんな感じだったんだろう。

現地にいて、成長や変化を肌で感じられるのは貴重な経験だ。

 

日本橋の上に高速を作ったり、歌舞伎座周辺に流れていた川を埋め立てたりするような、風景を殺す変化はしてほしくない。

夢に出てきたガネーシャさん

先日、夢にガネーシャさんらしき人(と呼んで良いのかな?)が出てきた。

なにか話をしたけど、全然内容を思い出せない。

そもそもガネーシャさんだったのかもよくわからない。

 

友人のSさんに聞いてみたら、ガネーシャさんが出てくるのは良い夢らしい。

 

バリに来て3ヶ月。

今のところ、僕たちに悪いことは一つも起きていない。

Sさんをはじめ、近所の人にも恵まれているし、たくさんの出会いがあった。

 

たった数日の滞在で、「二度とバリには来ない!」と言っちゃうようなトラブルに遭う人もいるわけだから、僕らは幸運なんだろう。

 

近所の人の親切さに触れると、なにか恩返しをしたくなるけど、まだ僕たちにはなにもできない。

精々、裏のワルンでちょっと買い物をするくらいだ。

 

お祭りの準備が手伝えるように、お供え物の作り方くらいは覚えようかな。

夢で話したガネーシャさんが、「お前、恩知らずだな」って言ってたら怖い。

今日は満月のお祭り

バリはとにかく祭り事が多い。


ついこの間は新月のお祭りだったし、キリスト教の祝日もあった。

来週は、ガルンガンというバリのお盆だそうだ。


インドネシアが定める祝日に加えて、バリはバリヒンドゥーのお祭りもある。

ガルンガンは、学校も2週間くらい休みになるらしい。


どうりで週休1日制なわけだ。

週休2日制になんてしたら、きっと仕事にならない。


うちの周りには、華僑やジャワの人も住んでいるけど、やっぱりバリ人が多いみたいだ。

今朝ランドリーに行く途中、祭壇にお供えする姿が多く見られた。


未だにうちの祭壇は放置しちゃってるけど、子どもが生まれたら、チャナン作りデビューしたいなぁ。


男がチャナン作ってたら、男の娘だと思われちゃうんだろうか。

それとも、そもそも男は作っちゃいけないんだろうか。




半径500メートルの人たち

妻は最近、語学学校に通っている。

友人の奥さんに「バイクの送迎が1回500円する」と話したら、憐れみの目で見られたらしい。

裏のおじちゃんに頼めば安いのに、ということだそうだ。

 

バリには観光客向けのスーパーがあり、ローカルの人がほとんど利用しない店も多い。

せっかく長く住むのだから、なるべく身近なところにお金を落としたい。

たとえ小銭でも、チリが積もればなんとやらだ。

 

自分たちが使ったお金で、周りの人たちの生活を少なからず支えられるのであれば、それは地域に貢献していることになり得るんだろうか。

 

世界ではいろいろなニュースが起こっているけど、身近なところは平穏であってほしい。

一番は家族や親戚、友人だけど、毎日のように顔を合わせるパン屋さんや、ランドリーの人たちの生活が幸せであれば良いのにと思う。

 

バリ島全域や、日本全国のことや、ましてや世界中のことなんて、範囲が広すぎて相手にしきれない。

それは、ガネーシャさんや、アマテラスさんや、ブッダさんや、イエスさんや、アラーさんたちに任せておこう。

この人(神)たちを並べて書くことが、適当かどうかもよくわからないけど。

まず一人も会ったことがない。

 

南米のアマゾンで暮らす「ピダハン」という少数民族は、キリスト教の宣教師が来たときにこう言ったらしい。

 

「自分たちは神を知らない」

「会ったことがない」

「だから自分たちに神はいらない」

 

ピタハンには、数もなく、色もない。

「右」も「左」もない。

「過去」も「未来」もない。

「ありがとう」も「ごめんなさい」もない。

感謝と謝罪の意は、行動で示す。

 

僕のインドネシア語は1歳児くらいのレベルだから、行動で示せれば良いな。

バリは豊かな島

バリの人は、食べることをとても重要視している。

あいさつの後に続く言葉は、大抵「sudah makan?(もう食べたの?)」。

ほとんどあいさつみたいなものだ。


田舎に連れて行ってもらうと、マカン地獄(食べな食べな地獄)が待っている。

大変ありがたいことだけど、お腹ははち切れんばかり。

けど、タバナンの田舎でいただいた魚のバクソーやバビは、忘れられないおいしさだ。


バリでは、主食である米は年に3回も4回も採れちゃうし、海には魚がいて、そこら辺にバナナやフルーツが生っている。

痩せてるけど鶏はいるし、バリ人が好物の豚もいる。


島は島でも、サンゴ礁が集まってできた島では、作物が育ちにくかったり、食材を買うにも東京の倍以上の価格だったり。

隣の島まで買いに行かないと生活できない島も多い。


それに比べると、バリは食べ物には困らない。

「どうやって食べ物を手に入れようか」じゃなくて、「今日はなにを食べようか」を考えられるのは幸せなことだ。


生きていくには、家も服もお金も必要だけど、食べ物は一番欠かせない。

水と空気だけで生きていければ良いのに、とも思う。


ささやかなホスピタリティ

約1週間ぶりに、近所のコンビニまで買い出しに。

牛乳やら飲み物を調達した。


いつもはお兄さんがレジに立っているけど、今日はお姉さんだった。

飲み物が重いからと、レジ袋を2重にしてくれる。

なんて気の利く店員さんなんだろう。


日本のコンビニでも、案外気を利かせてくれる人は少ない。

ささやかなサービスで、なんだかうれしい気持ちになれる。


日本のサービス業は、きっと世界中で通用する。

日本の旅館でおもてなしの精神を学び、海外のホテルやレストランで働く日本人や外国人が増えているそうだ。


なにも買っていなくても、10円のガムしか買っていなくても、「ありがとうございます」を言ってくれるのは、きっと日本くらい。

消費者がワガママになっていくのはいただけないけど。